平常運転

アニソンが好き

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君の名は。を見た

見た。見た!!!!!!!

パンフレットは買い忘れてしまったのでまた買いに行く。というかもう一回見に行く。小説版はすばやく Kindle で買って読みました(スピンオフの方も)。

ネタバレを含む感想を書く場所が社内チャットの #kiminona チャンネルくらいしかなくてそこに書いていたのだけど、どうせならオープンインターネットに書き散らしておく。ということでネタバレを気にせずに書きます。嫌な人はブラウザ閉じてください。

www.kiminona.com































どうですか、そろそろよいですか、今回はスペースを稼ぐ画像がありませんでした。ちなみにまとまりのある感想ではありません。思いついた順に書いています。

見終わってまず何より、三葉と瀧にとって幸せな結末に至ってめでたいというのが最初の感想。特に映画後半のあの過程を見せられた後なのだからきちんと平和なところに落ち着いてほっとしたし、さらに冬の陸橋のシーンで結局出会えなかった演出からの二段オチには最後の最後までドギマギさせられてしまった。

前半の入れ替わりメインのラブコメは微笑ましいのだけれど、瀧が三葉に会いに糸守町に向かう展開から息の詰まり胸が熱くなるような話が続く。見終わった後にはともすれば前半部分のことを忘れてしまいかねないくらいの熱量のあった後半だけれど、その後半の熱量というのは前半で入れ替わりながら積み重ねてきた瀧と三葉の関係性があってこそなんだよなあ、というのも当然忘れてはならない。

そういえば、三葉が瀧に入れ替わって東京の町並みに驚くというか感動するシーンで、自分が就活かなにかで初めて東京に来たときのことを思い出してしまった。ぼくはずっと関西暮らしなので東京なんてまあ大したことねーやろと思っていたのだけど、新宿とかを見て「ああ、ここは都会だ」と思ったし、テレビとか写真でしか見たことがない「東京」が渋谷なり東京駅なりあちこちに広がっているのに衝撃を受けた記憶がある。関西人としては悔しいのだけれど、やはり東京はそういう憧れの都会なのだよなあ、ということをその時痛切に感じさせられたし、三葉の東京志向でそれを思い出してしまった。
そして逆のところでいうと、瀧が糸守の美しい景色に感動したり、田舎に郷愁というか良さを感じる気持ちもすごく共感できるところがあった。面倒ごとを差っ引いてただ眺めたり感じたりする分にはやっぱり田舎はすごく美しいんだよなあと、旅先で感じることもよくあるのである。

入れ替わりラブコメ、みたいな映画だと思って見に行ったので、最初のオープニングはいきなり何が始まったのかと少し驚いてしまった。あれはオープニングであると同時に、彗星が降ってくるシーンは瀧にとっては本編より前の時系列の出来事なのであそこに出てくるのが確かに正しい気もする。

入れ替わった後元に戻るとじきに忘れてしまうというのは、「入れ替わっている」という現実ベースで受け止めている僕たちにとってはずいぶん残酷な気もしたけれど、劇中でも何度も言われていたようにあれは夢なのだ、と思うと非常に納得感があるし、20代になってから10代のことを思い返すと、当時大切なことだと思ってたはずのことを案外忘れていたりするというのも含めると、意外とそういうものなのかという気がする。しかし、特に瀧はあまりにも唐突にぼろっと忘れてしまうものだから流石に面食らうことが何度かあった。

まあ見ながら泣いたのだけど、今回最初に泣いたのは、瀧がご神体の山に向かうためにラーメン屋の親父に送ってもらうところ。瀧が三葉がというよりは、なくなってしまった糸守に瀧を送っていく親父がどんな気持ちだったのだろうとか、瀧のスケッチをどんな気持ちで見たのだろうとか、そういうところに心を動かされてしまった。

見てるときにちょっと「ん???」と思ったのだけど、瀧がデートした日の後、三葉に電話しようとするシーンで三葉の側に視点が切り替わるけれど、三葉の主観ではデートの日は東京に来ていたのだから、あの祭の日はデートの翌日のはずで、あそこでふたりの時間軸の対応が1日飛んでしまったように見えたのだけどそれであっているのだろうか。少なくとも「二周目」の世界線においては、デートの日は三葉が東京に来ており、その日の夜に髪を切り、デートの翌日の祭の日に瀧が入れ替わってきてその日に彗星が降ってきた。そこから逆算すると「一周目」の時間軸の対応はさっき書いたような感じになると思うんだけど、その直前まで瀧と三葉の時間軸は並行していたはずなので、あのシーンだけ飛んでいるのが変な気もしている。二回目見に行って確かめた方がよいのかもしれない。(「一周目」においてはデート当日に祭があって彗星が降ってきて「二周目」では彗星の降ってきた日がズレた、というのも考えかけたけど、「一周目」でも三葉がデート当日に東京に来てたとしたら、流石に当日中に糸守には戻ってこれなさそうなのでおかしいということになるし。。)
その関連で言うと、「一周目」では祭の待ち合わせのときに初めて三葉が髪を切ったところをテッシーたちに見せているけど、「二周目」では祭の日の朝登校した時点でショートカットを披露している。ということは「一周目」では朝は長い髪のまま登校していたのではないかということになって、「二周目」で瀧が入れ替わってくる前から既に分岐していることになる。これは入れ替わった瞬間から違う世界線になったということを示唆する演出だったのか、それともこれも僕が何か考え違いしていただけなのか。
並行世界とかタイムパラドックスとかもつい考えたくなるので色々考えてしまったけど、そもそもファンタジーである前提の上に成り立ってる舞台なのだからあまり考えても仕方が無いのかもしれない。。。

かたわれ時に瀧が三葉の手に名前ではなく「すきだ」のメッセージを書いたことであの後三葉が瀧の名前を思い出せなくなるシーンは、なんというか高校生のロマンチズムという感じがして、シーン的にそんな余裕のあるシーンではないけど、思わずちょっと微笑ましくなってしまった。

家が地元の土建屋だったテッシーが5年後(8年後)に東京にいたシーンについて、劇場で見た時はそんなに何も思わなかったのだけれど、あとからスピンオフを読んだりするうちにすごい意味があるなと思ってきている。彼は町が存在し続けていたなら町から出ることは叶わなかったはずの家の人である。その彼が東京にいるというのは、あの彗星が町を文字通り潰してしまったことの象徴ではないかなと思ったりした。あと、これは話の展開上の必然でもあるんだけど三葉も東京に出てきていて、三葉はずっと東京に出たがっていたけれど、もし町と神社が健在であればじっさいのところ彼女は町に戻っていなければいけなかったのかもしれない。特にスピンオフの方を読むと、町は旧習に囚われたネガティブなところとしてけっこう強調されていて、それを破壊するような役どころを彗星が担ったのだとしたら、なんというか不思議なところがある。この段落が一番ブログに書きたかったことです。

だいたい書くこと書いた気がするのでいったんここまで。久々にまとまりなさマックスという感じのエントリになった。